肉体というのは変化の連続です。たった1つの受精卵が増殖し、成熟し、朽ちるその日まで変化を続けます。この変化連続という人生の中で、ヒトが同じ姿を保っている時間なんて僅かではないでしょうか。
その姿が変遷していく過程の中で「同じ姿を保とうとする力」が様々なフェーズにおいて働いております。骨も筋肉も無意味な変形をよしとせずある時点での姿を保とうとし、血液などの体液は様々な方法で一定濃度を保持します。遺伝子という肉体の基礎の部分から、心や人間性という精神の究極の構造に至るまで、人間という存在の全てレベルにおいて「己を保つ」という恒常性が働き続けています。
さて、ではこの己とは何なのか。変化を続けるという宿命の中で「己」というのは、何を指すのか。この哲学的な永遠の命題に対し、明確な解答を持って、恒常性は肉体や精神を維持し続けます。
己とは何か?これに対する恒常性の答えは「少し前の自分の姿:形」が己なのです。
一歩前か二歩前か、昨日か一昨日か。
ある時点での形を保とうとするのが恒常性であると言えます。
成長や老化といった根本的に変化を続ける力は常にあり続けますが、その中でもある時の姿を維持し保とうとする力が働く。ヒトの体とは、この変化と維持の力の絶妙な綱引きの中で成立してるといえましょう。
では、では。
今回はこの辺で。
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